なぜ哲学を学ぶのか?
さて、「はじめに」を読んでみた。
哲学を学ぶ際に、切っても切れない関係にあるのが、宗教だ。
特に西洋哲学では、中世までキリスト教の影響を強く受けてきた。
だからこそ、哲学と宗教は同時に学んでいく必要があるのだという。
人類史上で先に生まれたのは「宗教」だ。
これは正直、驚いた。
哲学と宗教が近い存在なのはなんとなくわかる。それぞれの内容がどんなものかも、ある程度イメージすることができる。
だが、そもそも哲学と宗教が、どちらが先にあったのかなど、考えたことがなかったからだ。
先に生まれたのは宗教。その後、哲学が生まれた。
これはおそらく、古代ギリシャの哲学だろうなと想像できる。
アリストテレスとかの、あれだな。
そして次、最後に出てきたのが「自然科学」だと述べられていた。
なぜここで「自然科学」が出てくる?何の関係がある?
そう思った。
だが、人類史においてこの3点は並列で語られるものらしい。
この3つはいずれも「人間の問いを解き明かしてきたもの」なのだ。
なるほど。
そして自然科学は、哲学や宗教に、大きなインパクトを与えるものだった。
これも、なんとなくわかる。
自然科学には、人々がそれまで信じてきた宗教や哲学を揺るがす力があったのだろう。
また、内容に入る前に、「哲学」と「宗教」という言葉の由来や意味が書かれているのだが、これはいろいろな本で述べられているし、ネットで調べればすぐにわかるので、さくっとまとめておくと、以下のようになる。
哲学=philosophy(ギリシャ語。知を愛する)
「哲」→あきらか 哲学→あきらかにする学問
宗教=religion(ラテン語。re=再び ligion=結びつける)
→(神と人を)再び結びつける
そして、哲学と宗教のメインテーマは、常にこの点だ。
「世界はどうしてできたのか?」
「人間はどこからきて、どこへ行くのか?」
これは、誰でも一度は考えたことがあると思う。
じゃあ、なぜわざわざ学ぶのか?
これは個人的な見解だが、
多くの人は、上のような問いを、一度は考えたことがあるとはいっても、考え抜いている人は少ない。
だが、宗教家や哲学者は、その主張の良し悪しや精度の高低はあれど、考え抜いて、その時代なりの解にたどり着いている。
そこに、学ぶ意義があるのではないか。
「世界はどうしてできたのか?」
「人間はどこからきて、どこへ行くのか?」
これに対する先人たちの解を知ったうえにしか、論をさらに進める方法はない。
自分などに論が進められるとは思わないが、自分の考えていることが、先人によってすでに考えられていたことなら、その問いと解くためのヒントが得られるはずだ。
学ぶことで、「その悩み、すでにこの人が考えているよ」ということがわかる。
哲学という学問には、そんな希望を抱いている。
※参考テキスト