プラトンの2つの偉業と1つの提案
第4章の続き。
◎プラトン(BC427~347)
ソクラテスと違って、著作がたくさん残っているらしい。
本名は「アリストクレス」。アリストテレスと似すぎてる。
通称がプラトンでよかった。
アリストテレスとは41歳差だが、ラファエロの「アテナイの学堂」の中央に2人が並んで話している様子が描かれている。
また、
「西洋のすべての哲学は、プラトン哲学への脚注にすぎない」
と言われているほどの存在だ。
そこまで言わしめるプラトンとはいったい何をした人なのか。
そしてこの2つは、ピュタゴラス教団の影響を受けているという。
どういうことか。
・イデア論
イデアというのは、ものごとの本質となる観念。
それは天上にあるとされ、地上の実在と対になっている。
天上のイデア世界↔地上の実在世界
これは二元論であり、輪廻転生の思想も含まれている。
ピュタゴラス教団もこの両者の特性を持っていたという。
ちなみに、イデアは「idea」と書くが、英語の「idea」にギリシャ語のイデア、つまり「観念」の意味はない。(英語でイデアにあたる語は「form」)
今まで「アイデア(英語のidea)」という言葉の由来がイデアだと思っていたが、意味的には違うものになっているのか。ややこしいな。
まあ、これはそこまで重要でもないので次に進みたい。
・アカデメイア
900年続いた学園。これは「アカデミー」の語源で間違いないだろう。書いてないけど。
プラトンはこの学園で、天文学・生物学・数学・政治学・哲学など、幅広く学べるようにした。
指導方法は主に「対話」や「問答」。
ソクラテスがやっていた哲学のスタイルを踏襲しているといえる。
プラトンは、アカデメイアに著作を残していたから、その多くがきれいに保存されることになった。
代表的著作は『国家』と『法律』。
その中で、政治形態についても持論を展開していた。
それまでに存在した政治形態は2パターンに2つずつの計4つ。
それぞれ何によってリーダーが決まるかが異なる。
①王政:血統
②僭主政:実力
③貴族政:身分
④寡頭政:実力のある小集団
このうち、①②は支配者が1人であるパターン、③④は支配者が複数(少数)であるパターンだ。
プラトンはここに、5つ目の政治形態を提案した。
⑤民主政だ。
多数の人間によって支配するスタイルである。
また、民主政だけでは不十分で、「哲人政治」を唱えた。
哲学者、つまり賢い人たちの会議によって決めるということだ。
「民主政+哲人政治」というハイブリッド型政治が理想であるとしたのだ。
これ、今の感覚でとらえると「ふーん」という感じだが、よく考えると、紀元前5世紀の主張なのだ。
2500年ほど前に、4パターンの政治形態を並べて比較し、5つ目として「民主政治がいいよー」と言っていたわけだ。
すごいことだと思う。
これが当時としては革新的だったからこそ、きちんと残っているし、こうしてのちの書物で紹介されているんだろう。
哲学の難しいところは、哲学者たちが言っていることが、今では常識というか、当たり前のことになりすぎて、「だから何?」となりがちなところだ。
それが当時としていかに革新的な発明・発想だったのかを考えないと、その重要性に気づけない。
哲学の歴史を学ぶことは、人間の思考の歴史をたどることでもある。
今の常識がどのように形成されてきたのか、しっかりたどっていこう。
次回は、アリストテレスについて。
※参考テキスト
ソクラテスは何がすごかったのか
第4章のタイトルは「ソクラテス、プラトン、アリストテレス」。
言わずもがな、古代ギリシャの哲学者たちだ。
この3人は直系の師匠と弟子のような関係でつながっている。
ソクラテスとプラトンが、タレスやエンペドクレスといったそれまでの自然科学者たちと違った点はまず、アテナイという大都市の出身だったことだ。
多くの自然科学者はイオニアという地方に住んでいた。
だが彼らは、人が多く住む大都市アテナイで生まれ育った。
すると自然に、彼らの問いは自らの内面へ向いたのだろう。
わかりやすい対比にするとこうだ。
自然科学者:外部世界の探求「世界はどうなっているのか?」
ここから1人ひとり、取り上げられている。
◎ソクラテス(BC469~399)
ソクラテスは、弁論術に長けていた。彼は人々に対して、生きることについての問いかけを始めた。
問いかけを始める原体験となったのは、アテナイとスパルタが敵対したペロポネソス戦争(BC431~404←長っ)だ。
年代を見ればわかるが、ソクラテスは38歳~65歳という、人生の大部分を戦争状態の世の中で過ごした。しかも、彼自身も参戦していたのだ。
ペロポネソス戦争では、スパルタが勝利し、アテナイの政治にスパルタが介入することになった。
こうした事情で、戦後のソクラテスは、「人間」というものに対する問いを大きくしていったのではないかと考えられている。
30年近く戦争をした上に、母国は敗れて政治的主導権を奪われる。
そんな彼の疲弊と挫折はものすごいものだっただろう。
そこから彼は、対話によって事物の核心に迫り、真実に迫っていく方法を取った。
俗に「ソクラテス式問答法」と呼ばれるものだ。
人が対話によって物事の真実を自分の中から生みだすことを手助けすることから、産婆術とも呼ばれた。
これは正しくは、「不知の自覚」というらしい。
ただ、議論をふっかけて問いつめていくスタイルは、不知を自覚させる効果はあるが、だいぶ反感も買ったんじゃなかろうか。。
少なくとも現代でやったら炎上しそう。
そんな傾向もあってか、ソクラテスは恨みを買い、公開裁判で死刑が確定。
処される前に、自ら毒を飲んで死したとされる。
ちなみに、ソクラテスは書物を残していない。
これは、ソクラテスが裁判にかけられ、法廷で語った内容を記述したものだ。
だから、現代に伝わるソクラテス像はプラトンが作り出したもので、本当に偉大なソフィストだったかどうかは定かではない、無批判に受け取るべきではないと著者はいう。
先に続きを読んうえで述べると、哲学者としての功績や名声は、弟子のプラトンやアリストテレスの方が大きいのかもしれない。
ただ、ソクラテスの功績は、概念をつくったことではなく、「哲学の手法・スタイルを編み出したこと」にあるのではないかと思う。
人間の内面を見つめるために、対話を使う。
それがのちに、プラトンやアリストテレスによる概念創出を助けたのだろうと。
その土台を作ったという意味で、ソクラテスの存在は彼らに並立するものなのだ。
手法を発明した人と、その手法を使って新たな物事を発見する人、そのどちらが欠けても、学問は進まない。
ソクラテスの生涯と、やったことを学んでいくと、そんなことを思った。
歴史を知ることは面白い。
すべての人やコトは点ではなく、流れの中で線として存在していることを感じさせてくれる。
ソクラテスの弟子たちの活躍については、また次回としよう。
※参考テキスト
紀元前5世紀に、知が爆発したらしい
第3章に入ろう。
テーマはいよいよ、「哲学の誕生」だ。
哲学は、古代ギリシャを中心に派生していったものだけではない。
中国やインドでも、哲学は生まれた。
儒教や仏教のことだ。
儒教や仏教は、日本に根付いている価値観でもあるから、あまり「哲学」という捉えられ方をしていないのかもしれない。
だから「哲学」というとき、どうしても西洋哲学を想起しがちなのだ。
しかし、こうした東洋哲学も現代まで存在感を放ってきたことを忘れちゃいけない。
現代にまで伝わる哲学は、BC5世紀前後に、同時多発的に起こったものが多いという。
ギリシャではソクラテス、インドではブッダ、中国では孔子や老子。実は彼らは、ほとんど同時代を生きていた人物だったのだ。
これは驚いた。
宗教(特にセム的一神教)は、ユダヤ→キリスト→イスラムと、ある程度時間をおいて発生してきたのに、哲学はほぼ同時だというのだ。
ここで思ったことがある。
よく、時代の変革期には、英雄が同時多発的に生まれると言われる。
日本で言う明治維新の時期の英傑たちのように、大人物が立て続けに現れることがあるのだ。そして彼らの存在が、時代を大きく前進させていくことは間違いないだろう。
それと似たようなことが、BC5世紀前後に世界で起こっていたのか、と。
タイムマシンに乗って見に行ってみたい気持ちになる。
BC5世紀前後に起きた、知の爆発。(この言葉、パワーワード感があって好きだ)
この時代を「枢軸の時代」と呼ぶ。
知の爆発には、鉄器の発明と地球温暖化が影響しているという。
この2つにより、農作物などの生産性が爆上がりした。
そのおかげで、時間や食物に裕福な層が生まれ、彼らは知識人や芸術家となった。
それが、哲学的思考の拡大に寄与した。
「世界は何でできているのか?」
「人間はどこからきてどこに向かうのか?」
この問いをじっくり考える時間ができたのだ。
ギリシャ
それが顕著だったのがギリシャだ。
ギリシャではBC5世紀より少し前から哲学的思考の広がりを見せていた。
始まりは、「神話」である。
ギリシャ神話は『イリアス』『オデュッセイア』(ホメロス著)、『神統記』(ヘシオドス著)において体系的にまとめられた。これがBC9~7世紀ごろの話。
そして、BC7世紀以降、自然科学者たちによる「”アルケー”の追求」が始まった。
アルケーってなんやねん→「万物の根源となるもの」とのことです、はい。
いろんな人が「これがアルケーだ」と語っていたようだ。箇条書きにしておこう。
- タレス(BC7~6世紀):水がアルケーだ
- ヘラクレイトス(BC6~5世紀):万物は流転する
- エンペドクレス(BC5世紀):アルケーには4元素(火・空気・水・土)がある
- デモクリトス(BC5~4世紀):アトム(原子)こそがアルケーだ
- ピュタゴラス(BC6~5世紀):アルケーは、数でできている
- パルメニデス(BC6~5世紀):世界には始めも終わりもない(一元論)
みんないろいろ言ってんなー…
だが、科学の発達していない時代にこれらを見い出していたのだからすごい。
このうち上の4人は自然科学者と呼ばれている人物。
そして下の2人の思想はちょっと異色だ。
「x²+y²=z²」の定理で有名なピュタゴラスは、ピュタゴラス教団の教祖として、宗教的な立場もとっていた。
学問的立場と宗教的立場の両面から世界を解明しようとしていたのだという。
その意味で、ピュタゴラスは哲学と宗教が似ていることを示す好例となっている。
パルメニデスは、「あるは、ある。ないは、ない。」という名言を残した。
何のこっちゃ・・・
理性でとらえる不生不滅の有るべき世界と、感覚でとらえる生々流転する現実世界の二重構造を説いている。
そして、世界には始めも終わりもないという一元論的存在にたどり着いた。
この辺、まだちょっとよくわからないが、先に進みたい。
この時期にソクラテスをはじめとする哲学者も出てきているのだが、それは第4章で詳しく解説する。
インド
そのころインドでは、ブッダの誕生である。仏教の開祖だ。
仏教の他にも、インドには「六師外道」と呼ばれる6人の思想家がいた。
ただ、「外道」と言われてしまっている通り、インドでは仏教が圧倒的に影響力を持っていて、6人の思想は「仏教以外の奴ら」としてひとくくりにされているのが現状だ。
中国
中国では、孔子と老子を代表とするさまざまな思想家が生まれている。(老子が存在したのかという議論はさておき)
詳しい解説は5章以降となるが、中でも中国ならではであると著者が強調するのが陰陽五行説だ。
陰(地・月)と陽(天・日)と、5元素(木・火・土・金・水)をかけ合わせることで宇宙が生成されているという説だ。
のちに出てくる「陰陽師」というのは占い師の一種だが、この説自体は本質的なことを言っている気もする。
エンペドクレスのアルケー論とも近いものがある。
このように、各地域で似たような哲学的思考が起こり、知が爆発したのがBC5世紀前後なのだ。
現代のように、ネットで世界中がつながっている世の中ではないのに、違う場所から、同じような考え方が、同じ時期に生まれてくるというのは、驚嘆に値する。
人間の進化の本質が、そこにあるのかもしれない。
ちょっと長くなってしまったが、面白くなってきたのは確かだ。
哲学史。どこまで追いかけられるだろうか。
第4章はギリシャの哲学者たちを詳しく見ていく章となる。
ではまた次回。
※参考テキスト
ゾロアスター教ってなんだ
前回、言語の誕生から、時間の概念の誕生、宗教的思想の原点を学んだ。
第2章は、世界最古の宗教についてである。
人類初の世界宗教は「ゾロアスター教」。なんとなく名前は聞いたことがある気がするが、それ以外には何も知らないに等しいので、じっくりいきたい。
ゾロアスター教は、”人類初の世界宗教”と呼ばれているように、世界の広範囲に広まった宗教の中で最古だ。BC1000年頃に古代ペルシャで生まれ、のちに国教化されたという。創始者はザラシュトラという人。
「古代ペルシャ」は、今のイラン北東部のことを指すらしい。ペルシャ猫、ペルシャ絨毯、ペルシャ湾など、「ペルシャ」という地名はよく聞くけど、今のどこなのか曖昧だったので確認できた。
ゾロアスター教は、古代ペルシャから中央アジアを経由して中国に広がっていった。
それほど有名ではないゾロアスター教が、1章分使って解説されているのは、その後に生まれた宗教にも強く影響を与えているからだ。
ゾロアスター教の教えの特徴は3つ。
②守護霊と洗礼
③火の信仰
今は、「天地創造」から「最後の審判」の間の12000年の間にある。
つまり、世界の始まりと終わりの間の期間が「現在」であり、そこでは善の七神と悪の七神が、最後の審判に向けて常に争っている。
だから、世界は善と悪が混合しているのだ、という考え方。
②守護霊と洗礼
守護霊→生きる人間を守る精霊(フラワシ)。
洗礼→ゾロアスター教には入信の儀式(ナオジョテ)がある。
③火の信仰
ペルシャがあるのは石油の産地・中東。頻繁に自然発火が起こる環境で、雨が降っても多少なことでは消えないことから「永遠の火」として畏れるように。
世界には善悪が混ざり合っているという考え方は、神=善ですべて神が救ってくれると考えるキリスト教の一神教よりも、自然な考え方であるように思う。
守護霊はその後の宗教との関連は分からないが、今もある考え方だし、洗礼というのは宗教を宗教足らしめるもの(わざわざこんな儀式を受けるのだからその教えは正しいに違いないと思い込む)な感じがする。
ゾロアスター教はその要素をすでに備えていたのだ。
また、自然発火が信仰につながったというのは、石油の産地ならではの特性が表れていて面白い。なるほどなあ。
この中東の地から、のちにユダヤ教、キリスト教、イスラム教という現代社会で世界50%超の信者を持つ宗教が生まれた。
そしてそれらは、ゾロアスター教の影響を受けている。
ちなみに、ここで世界の宗教の大分類を書き残しておく。
◯インド宗教:ヒンドゥー教・仏教
こうやって書いてみるとわかりやすい。これ以外に土着の宗教は無数にあるのだろうけど、世界的に信者が多かったり、世界史に影響力のある宗教がこれらだ。
とはいえ、セム的一神教というのは初めて聞いたな。
セム族から始まる宗教のことらしい。
セム族のアブラハムという人がいた。唯一神ヤハウェは、彼を人類救済の預言者として選んだ。そのことから、アブラハムは「信仰の父」と呼ばれ、ユダヤ人の祖とされている。へぇー。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はそれぞれバージョン1.0、2.0、3.0のような感じでつながっていて(たぶん厳密には違うけど)、ヤハウェの存在など共通項がたくさんあるというのはYouTube大学でも学んだ。
ざっくりとした理解だが、世界最古の宗教を知れた。
とはいえ、まだBC1000年頃。
キリスト教が生まれるまでまだ1000年以上あるということ。
でも、今から3000年前にあった、宗教という目に見えないもののことを知れるというのはすごいな。資料とか、どうやって見つけて解読しているんだろう。想像からの創造である可能性も十分あるよな。
個人的には、こうして3000年前の人間生活の様子がわかる証拠がたくさんあるのに、2000年程度しか歴史がない神のストーリーだけを今もなお信じて生きることには、あまり意味がないように感じる。
こうした思いは、自然科学が発展して、神の物語に矛盾が生じた近世以降、多くの人が感じたものなのかもしれない。現代の人たちは、いろいろと折り合いをつけながら信仰しているのかも。
ということで目次を見ると、次からはいよいよ、よく知られた哲学が出てくるようだ。
楽しみに、また次回。
※参考図書
思考するツールとして言語が生まれ、人は考えるようになった
第1章は「宗教が誕生するまで」。
「はじめに」で見たように、先に生まれた宗教の背景を見ていくようだ。
これまで前段の話が主だったが、いよいよ内容に入っていく。
宗教が生まれるより前に起きたことに、「言語」の発達が挙げられる。
そもそも言語がないと人間は宗教も哲学も生み出せなかった。
というより、「考えること」自体、言語がないとできない。
脳が進化して、思考するツールを求めたことにより、言語がもたらされたという。
FOXP2という言語中枢にかかわる遺伝子が、人が世界に広がった約10万年前に変化したようだ。
うーん、この遺伝子の名前は覚えられる気がしない。
とにかく、思考ツール(言語)を獲得した人類は、「時間」の概念を構築した。
日の出から日の入りまでが示す「1日」
月の満ち欠けが示す「1月」
これらの時間の概念は、古代エジプトで生まれ、そこから太陽暦がつくられた。
時間の概念でさえ、言語があってこそ構築できたことなのか。
まあ、言われてみればそうだ。
ちなみに、「1週間」と7つの曜日という概念はメソポタミアで生まれ、太陰暦のもとになった。
自然の時間は永遠に繰り返すように見え、円環をなしている一方で、人には生と死、始まりと終わりがある。いわば直線的な時間の流れがある。
この2種類の時間に対して、なぜなのかを問う気持ちが人間に生まれたのではないかと著者はいう。
「終わり」を迎えた人間はどこに行くのか、と。
まさに、哲学と宗教のテーマだ。
定住生活をスタートさせた人類は、身の回りの存在を支配する生き方にシフトした。
なぜか?
狩猟を中心に暮らしていた時代は、そのときによって自然の恵みを得られたり得られなかったりした。サバンナの動物たちと似たようなものだ。
その意味で自然とは対等だった。
だが、定住生活をするということは、植物や動物を安定的に得られるようにコントロールしていくことになる。
そういう生活を実現したところで、人間は自然を「支配」するような意識を持った。
植物を支配する農耕、動物を支配する牧畜、金属を支配する冶金が発展した。
なるほど、説得力がある。
実際に、人間の脳の進化は、ここで止まっているらしい。
ただ、人間の欲求はここで止まらなかった。
1日中食料を探し回らなくてよくなった支配層の人間は、物事を考えることが多くなった。
彼らは考えを深めるうち、あらゆることを知りたくなった。
太陽を昇らせているのは何者なのか。
人の生死を操っている何者かがいるのではないか。
そういうことを知りたくなった。
そして、「自然界のルールをつくっている存在」を考え出し、祀ったり祈ったりし始めたのではないかと言われている。
これが「神」や「宗教」という概念の創出につながっていく。
1万2000年前のメソポタミアで起こったことのようだ。
このあたり、『サピエンス全史』に載っている「認知革命」や「虚構」と強く関係がありそうだが、途中で読むのを挫折してしまったのでほとんど覚えていない(笑)。
しかし、人間はこの頃から欲求を広げ続けてきたんだなと実感する。
より快適に生きたいというだけだったのかもしれないが、身の回りを支配するという考え方が、膨らみに膨らんで今まで続いているのだ。
何かが便利になると、もっともっと便利になってほしいと思うようになるし、何かを知ってしまうと、もっともっと知りたくなる。その繰り返しでしかないのか。
哲学を学びたいというこの欲求も、この頃の人間の遺伝子を受け継いでいるということだ。
※参考テキスト
なぜ哲学を学ぶのか?
さて、「はじめに」を読んでみた。
哲学を学ぶ際に、切っても切れない関係にあるのが、宗教だ。
特に西洋哲学では、中世までキリスト教の影響を強く受けてきた。
だからこそ、哲学と宗教は同時に学んでいく必要があるのだという。
人類史上で先に生まれたのは「宗教」だ。
これは正直、驚いた。
哲学と宗教が近い存在なのはなんとなくわかる。それぞれの内容がどんなものかも、ある程度イメージすることができる。
だが、そもそも哲学と宗教が、どちらが先にあったのかなど、考えたことがなかったからだ。
先に生まれたのは宗教。その後、哲学が生まれた。
これはおそらく、古代ギリシャの哲学だろうなと想像できる。
アリストテレスとかの、あれだな。
そして次、最後に出てきたのが「自然科学」だと述べられていた。
なぜここで「自然科学」が出てくる?何の関係がある?
そう思った。
だが、人類史においてこの3点は並列で語られるものらしい。
この3つはいずれも「人間の問いを解き明かしてきたもの」なのだ。
なるほど。
そして自然科学は、哲学や宗教に、大きなインパクトを与えるものだった。
これも、なんとなくわかる。
自然科学には、人々がそれまで信じてきた宗教や哲学を揺るがす力があったのだろう。
また、内容に入る前に、「哲学」と「宗教」という言葉の由来や意味が書かれているのだが、これはいろいろな本で述べられているし、ネットで調べればすぐにわかるので、さくっとまとめておくと、以下のようになる。
哲学=philosophy(ギリシャ語。知を愛する)
「哲」→あきらか 哲学→あきらかにする学問
宗教=religion(ラテン語。re=再び ligion=結びつける)
→(神と人を)再び結びつける
そして、哲学と宗教のメインテーマは、常にこの点だ。
「世界はどうしてできたのか?」
「人間はどこからきて、どこへ行くのか?」
これは、誰でも一度は考えたことがあると思う。
じゃあ、なぜわざわざ学ぶのか?
これは個人的な見解だが、
多くの人は、上のような問いを、一度は考えたことがあるとはいっても、考え抜いている人は少ない。
だが、宗教家や哲学者は、その主張の良し悪しや精度の高低はあれど、考え抜いて、その時代なりの解にたどり着いている。
そこに、学ぶ意義があるのではないか。
「世界はどうしてできたのか?」
「人間はどこからきて、どこへ行くのか?」
これに対する先人たちの解を知ったうえにしか、論をさらに進める方法はない。
自分などに論が進められるとは思わないが、自分の考えていることが、先人によってすでに考えられていたことなら、その問いと解くためのヒントが得られるはずだ。
学ぶことで、「その悩み、すでにこの人が考えているよ」ということがわかる。
哲学という学問には、そんな希望を抱いている。
※参考テキスト
どうやって哲学の勉強を進めるか?
勉強にはいくつかステップがあると思う。
哲学は、数学や物理のように体系的に整理するのが難しい。
だから、ちょっとかじってわかった気になるものの、ぼんやりしすぎていて結局頭に残らないことになるのだ。
そういう学問を改めて学ぶにはどうしたらよいのだろうか。
実はこのブログをはじめる前に、いくつかの方法で下積みをした。
最初に見たのが、この動画。
西洋哲学、東洋哲学のシリーズを一通り見れば、なんとなくの流れは頭に入る。
正直、初心者はこれを見るのが一番手っ取り早い。
はじめに入門書を読むより、あっちゃんの話を聞いた方が圧倒的に理解できる。
導入として最高の教材だ。
その後、じゃあいよいよ入門書に行こうかなと思い、本を読みかけたところで、手を止めた。
そして、向かったのは書店の参考書コーナーだった。
手に取ったのは、これだ。
高校の「倫理」のテキストである。
授業でやらないことも多いから知らない人も多いと思うが、「倫理」は、半分くらいが哲学で構成されている。
このテキストをやることにした。
理由は、「本を読む」よりも、「問題を解く」方がしっかり読み取ろうとするからだ。
これまで何度も挫折してきたのは、途中から難解な概念が出てきたり、人名だか地名だか用語だかもわからないカタカナが出てきたりしたときに、読み飛ばそうとしたからだ。
普通のビジネス書や小説なら、読み飛ばしてもなんら問題ないことの方が多いが、哲学ではそんな手は効かない。飛ばしても飛ばしても、用語の壁にぶち当たる。
だから、学ぶのであれば、じっくりと頭に染みこませなければならない。
そのための方法として、「問題集」をやることした。
テキスト選びについては、個人の好みでいいと思う。
今回選んだのは書き込み式のテキストだった。
かっこの中を埋めながら進めるものだったので、最初は答えを見ながらオレンジのペンで書きこんでいった。
1周できたら、その後に赤シートを使って文字を隠しつつ、一問一答のように答えをメモ用紙に書いて進めた。
もはや受験勉強である。何年ぶりだろうか。だがやってみると、結構楽しい。
しかも、これも1周できる頃には、じわりじわりと効果が表れるようになる。
用語を繰り返し覚えて、ある程度頭に入れておくと、本を読むときにその用語を「見慣れた言葉」として認識するようになる。
すると、自然と本が読み進められるようになっているのだ。
不思議なもので、意味の理解が曖昧でも見慣れた言葉が増えるだけで、文章を読む上での抵抗は薄れる。
動画で大まかな流れをつかみ、テキストで個々の用語を頭に放り込む。
まだ哲学を語れるまでには到底至っていないが、これで土台はできた。
ここからが、ブログを通してアウトプットする内容である。
手にしたのはこの本だ。
これは、「中田敦彦のYouTube大学」内でも参考文献として紹介されていた本である。
とんでもなく分厚いから、気後れするかもしれないが、文体はとても平易だったので安心できる。
いよいよ、この「哲学と宗教全史」を参考に、アウトプットをしていこうと思う。
ここまで読んでわかった方もいると思うが、この勉強法は、1週間や1か月で哲学をマスターしようとは考えていない。
というか、下積みの時点で数か月経過している。非常にペースはゆっくりだ。
手っ取り早くやろうとして何度も失敗してきたからこそ、腰を据えて学んでいく必要性を強く感じた。
だから少しずつ少しずつ、でも着実に、前に進んでいく。
楽しみだ。